- 【 国盗り物語 】
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斎藤道三を書く予定だった作者が、要望に応えて続きの織田信長も書いたという逸話がある作品。1・2巻は斎藤道三編、3・4巻は織田信長編。全4巻、新潮文庫。
いきなり個人的な好みを言ってしまうと、道三編が好きです。信長ももちろん面白かったんですが、濃姫の父で蝮と恐れられたという予備知識すらなかった無知なわたしにとって、道三という未知の人が権謀詐術、武力に威嚇、あらゆる手段を用いて身一つから京の富豪の旦那になり、美濃へ渡って一国を乗っ取る物語に引き込まれました。
彼の行動は、戦国の当時でも蝮と忌諱されるほど、凡そ理屈が通らない策略を駆使したものなのに爽快感があります。元は僧だった彼が、なぜそこまで道徳に反したことができるのか? 宗教は道徳を説くものではないのか? 当然そんな疑問は浮かびますが、自分は善悪を超越した存在であり、神仏は自分の手下と言い切る倣岸なところが彼の清々しさだと思います。危機を脱するために剃髪し、自分に触れれば罰が当たると恫喝。出家をうまく利用するのも、ずるい、罰当たりと思うよりまず、上手いことをするなぁと感心してしまうのです。信長は神仏を全く信じませんが、道三は逆で、神仏を信じた上で利用します。古い因習を破壊する共通点を持っているふたりは、神仏に対する考えは対照的です。ただ自分は神仏の下ではなく、神仏は自分のために働くものと考えているのが道三の宗教観で、そうした考えだからこそ国を盗るために躊躇なく奸臣にもなれる。彼の行動は正義と対極にあるのに、彼自身の価値観で言うと自分は正義で、きっと道三にそう言われたら頷いてしまうでしょう。
またこの道三、他の作品は読んだことがないのでわかりませんが、本作では非常に男前です。秀麗な容貌で舞に連歌、茶道を好む風流人なので、腹の中を考えると一層恐ろしく見えます。信長編では、濃姫が父の素晴らしさを夫に訴える場面が、とても素敵な父と娘の関係だと思いました。
正直、恋愛物語には全く興味がありませんが、司馬作品で物語のスパイスのように登場する恋の話は好きです。実際に司馬氏が会ってきたかのように、活き活きとした人物に感じられるのは、そのスパイスの使い方が秀逸なんだと思っています。本作も多くの女性が登場しますが、山崎屋庄九郎(道三の京都での名)の妻・お万阿との関係が大好きです。
道三編は信長と濃姫の縁談が決まったところで終了です。終盤には尾張の虎、信長の父・信秀も道三とは違った魅力のある人物として登場します。
楽市楽座
信長の印象が強いですが、美濃では道三が行ったために、報復措置を受けています。当時の神社仏閣に巣食い、横暴な傍若無人に振舞う人間には気分が悪くなります。信仰を商売にするばかりか、信仰を盾にした横暴さ。決して虐殺を容認するわけではありませんが、信長の行動にある彼なりの正義に、理解できる面も少なからずあります。
名前が
覚えきれないほど変わります。お万阿は京に戻った夫から、どんな名になったのか聞くのが楽しみなようですが、読む方は大変です。(笑)
道三という名前は道に入ること三度だから、ということです。妙覚寺の法漣房から還俗し、美濃で危機を脱するために再び出家して斎藤道三を名乗る。道に入るのは二度目ですが、死ぬ時に三度目の入道があるというのが彼の理屈です。「おれほどの人間が人並みにしか生きられない」と嘆きますが、三度目の入道は常に彼の念頭にあり、その上で生きている間に、と奮戦したのでしょう。その志が、ふたりの弟子に受け継がれていくあたりは、後半の信長編に書かれています。
お万阿
道三の京都の妻。洛中一の呼び声高い、富豪の未亡人の攻略が彼の国盗りの一歩ともなっています。美濃に目を付けた道三に多額の援助をする彼の支援者ですが、彼女は道三の「京都に上って公方になる」という言葉を信じ、彼もまた正室に据えるのは彼女と決めている女性。気の毒なことに、彼女は将軍の正室になることはありませんが、道三が生涯最も愛した女性として(娘の帰蝶にもそう話すほど)物語中を生きています。道三編の最後は、彼女と二度と会うことがない覚悟で美濃へ戻る場面で、そこで彼は彼女を本妻どころか本尊という言葉で、彼女をいかに大切に思っていたか書かれています。道三に人生を狂わされた人物なのに、それでも不幸には見えません。
気前が良く、賢いのか無邪気で世間知らずなのか、何とも魅力的な女性で、わたしは司馬作品に登場する女性で、寧々の次に好きなのは彼女かもしれません。
織田信長編 →