寧々

戦国時代の作品で、しばしば登場する彼女。作者自身が著書で、興味を持って調べるうちに彼女のことが好きになったと打ち明けているように、非常に魅力的。
英気溌剌として聡明、政治への介入も行うが彼女の場合、あくまで秀吉の気付かないところを補う形で弊害がなく、誰からも愛される。従一位北政所という高貴な身分になっても奢らず、自分の失敗談を面白おかしく聞かせては転げまわって笑い、京言葉を使わず早口な尾張言葉で、人前で秀吉と言い争うこともしばしば。時代を問わず、愛される要素が凝縮されています。司馬氏の作品を読んで、寧々が好きになる人は多いのでは? 実際のところという追求はサイトの趣旨と外れますのでしませんが、秀吉との口論を聞いた能役者の洒落(※1)に大笑いしたり、信長からの手紙のエピソードを読む限り、彼女は実際、頭の回転も早く、気さくで、好かれる人物像だったのでしょう。宣教師のルイス・フロイスも著書で「異教徒だが大変な人格者」と賞賛しているくらいだし。
彼女の名前は「ねね」か「おね」で意見が分かれているようですが、司馬氏の作品は一貫して「ねね」になっています。『尻啖え孫市』では「お寧々」と呼ばれていましたが、女性の名前の「お」は愛称のようなものだと思うので(お市も本名は「市」だし、千姫も作中では「於千」と呼ばれている)、寧々という表記が好きです。こっちの方が正しいんじゃないかな、と思う。武田信玄の妹(諏訪頼重室)も禰々だし、一文字の名前は不自然に感じる。
寧々と言えば引き合いのように出される淀(茶々)ですが、作者が寧々が好きで淀(正確には彼女の取り巻き)への評価が辛いのか、格が違う位置づけです。といっても後世の小説に於ける武田信玄の正室のように、淀を不当に貶めているとは感じません。正室と側室、従一位と無位という事実を取り上げた上で、その差を当たり前に記述されています。後に茶々が秀吉の子を産み、彼女が特別な側室になりますが(皮肉にもそれは秀吉の退廃と豊臣政権の没落に繋がる)、だからといって寧々は不遇になることなく、正室である従一位北政所は世継を生んだ側室の下になることはありません。尤も寧々が、夫の耄碌とそれによる政権の弱体化を冷静に判断したとは思いますが。
寧々の汚点として長く信じられていた、佐々成政の件は、司馬氏は著書で否定しています。根拠として、成政がはるばる運んだ花を、当時の茶々が山ほど仕入れるほどの権力がないと断言。当時の茶々は秀吉の側室のひとりに過ぎない上、浅井・柴田は滅び、織田家も衰退していたので、当たり前と言えば当たり前。寧々が花の件で恥を掻かされたと激怒して成政に切腹を命じる程度の器なら、信長に愛されることも宣教師に人柄を絶賛されることもなかったと思います。

秀吉と寧々
彼女を生涯正室として奥に君臨させたように、秀吉から彼女への愛情と評価は並ならぬものだと思っています。貴種を好む彼の閨房には多くの側室が控え、生まれでいえば寧々より良い女性の方が多かったかもしれませんが、『新史太閤記』で秀吉が「寧々を見返すようなことはさせぬし、おれもせぬ」と言った通り、彼は正室として彼女を軽んじることはしません。織田と浅井の血を引き、自分を途方もなく高貴な身分と思っている茶々(実際は両家とも新興大名)には、下級武士の娘たる寧々に膝を屈しなければならない身の上が、笑止なことでもありましょう。
「そもじの次は淀のもの」という手紙は余りに有名ですが、秀吉が彼女を生涯重んじたのは愛情ばかりではなく、優れた才覚を持つ彼女に対して、朋友あるいは戦友とも思っていたからかもしれません。当時、奥をきちんと管理できるか否かが、正室の評価を分けていたと聞いたことがあります。出自のことで諍うこともあったと言われている、淀殿と松の丸殿(こちらは名門、京極氏の娘)がいる奥を、出自が良くない彼女が管理していたのも、秀吉が彼女を重んじる理由でしょう。

寧々は豊臣を捨てたか?
側室の淀は豊臣に殉じたが、寧々は正室なのに豊臣政権を捨てて家康に媚びた。そういう見方もあるでしょう。彼女は豊臣政権を見捨てたと言えば、そうかもしれません。『関が原』『城塞』に於いて、彼女は織田家のような一介の大名としてでも豊臣が残るように尽力していますし、家康もそのつもりだったと思います。現に彼は秀吉の死後、孫の千姫を秀頼に嫁がせているし、最初から滅ぼすつもりであれば、あれだけ秀吉の遺命に背いた彼だから、真先に反故にしたことでしょう。家康から千姫への手紙や贈り物などが結構残っているらしく、再婚時の化粧料10万石を考えても、孫娘への愛情はあり、縁談をきっかけに豊臣側を懐柔しようとは思っても、秀頼と一緒に千姫が死ぬのもやむを得ないと思って嫁がせたとは思えません。
この2作では、本来豊臣家はどう行動するかについて、真先に相談するべき相手は正室の高台院(寧々)なのに、そうしなかった西軍/大阪城側への非難を感じます。彼女自身は豊臣家は織田家のように大名として残り、後のことは家康に任せるつもりでいるし、家康もそのつもりで彼女に好かれるために媚態を尽くし、信頼を勝ち取る。家康は長年、保身のためにしろ律儀者で通り、戦争も政治も巧みで人望も厚く、彼女が政権を任せるに値すると判断したのでしょう。聡明で物事がよく見えるだけに、秀吉の遺言が無駄なことは勿論、彼の治世が疎まれていることも感じていたのかもしれません。しかし高台院の意見は通らず、『城塞』では「秀頼を危ない方へ進ませる」と嘆く。ここに彼女が何を望み、どうしようとしていたのかが、凝縮されていると思いました。
結局彼女が捨てたのは、豊臣の天下という体裁だと思っています。

北政所と家康
『関が原』『城塞』では、北政所と家康の関係がなかなか面白いです。前田利家死後、大大名として天下顔する家康が、北政所とその影響力を恐れ、彼女を味方につけるため不器用な媚態を尽くす。秀吉死後の家康の媚態は北政所に限ったことではありませんが、家康は物事がよく見えている人物だと思わせます。豊臣秀次が謀反を起こす噂があった時も、息子の秀忠に「北政所さまを頼れ」と言ったり(※2)、生涯彼女(だけでなく腹心の孝蔵主)に便宜を図ったり、家康のアキレス腱的な存在が彼女というのも小気味良い。小説『天地人』(火坂雅志)では家康が最も恐れた人物が直江兼続らしいですが、司馬遼太郎作品では北政所。地位、官位(※3)、影響力を考えるとあり得ないことではないし、面白くもあります。
『城塞』だったと思うのですが、北政所が家康と通じているという大阪方の噂に家康が「わしも北政所さまもこんなに太っているのに」と溢す台詞はクスリと笑えました。北政所に関わる家康は、なかなか可愛げがある。



※1:太鼓打ちが「夫婦喧嘩が太鼓の撥に当たりました」と言い、笛吹きが「どちらが理ィやら非ぃやらやら」と続けたことに、揃って大笑いしたという話

※2:北政所は秀次にとって養母なので、秀吉と秀次どちらが勝っても、北政所につけば悪い処置にはならないであろうという考えから

※3:当時家康は内府(官位は正・従二位に相当)で、官位で言えば北政所の下。北政所の生前、家康は彼女と同じ官位までにしかならなかったはず。